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福岡に残る元寇遺跡~百道の元寇防塁

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どうも、ぐっさんです。

1か月ほど前、西南学院大学の元寇防塁跡を見てきたんですが、そのすぐ近くにも元寇防塁跡があったので、ランニングがてら見に行ってきました。

百道地区の元寇防塁

場所は西南学院大学の元寇防塁跡から200~300m西に行ったところにあります。

まず、見えてくるのが、「史蹟 元寇防塁」と書かれた石碑。

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この石碑は地図で示した場所よりもやや東の空き地にポツンとあります。

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横に回ると、「史蹟名勝天然記念物保存ニ依リ 昭和六年三月文部大臣指定」と書かれていました。いつからここにあるのかは不明でした。

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遠目で見るとこんな感じです。ほんとにただの空き地。

左の家を越えると元寇防塁があるので、もしかしたら、この石碑が建てられた後に家が建てられて、ここだけぽつんと残されたのかもしれません。でも名勝天然記念物に指定されている場所に家を建てることなんてできるんでしょうか?謎です。

最初にこの石碑を見つけた時は、「これでおわり?地行のと一緒?」となったので、すぐそばに元寇防塁があることを示すような看板でもあってくれるといいなと思いました。

墓地に元寇防塁

石碑のある空き地から東に少し歩くと、ちょっと開けた場所があり、そこに元寇防塁があります。そしてすぐ横にはお墓がずらり。どうやら、墓地に元寇防塁があるようです。

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説明書きです。

 元寇防塁は文永11年(1274) の蒙古襲来後に、再度の来襲に備えて博多沿岸の西は今津から東の香椎まで約20㎞にわたって築かれた石塁です。

 「元寇防塁」のことを古文書では「石築地(いしついじ)」と記されていますが、大正2年、中山平次郎博士が「元寇防塁」と仮称し定着したものです。鎌倉幕府から防塁築造の命が九州各国に下され、防塁は建治2年(1276)の3月から8月までの短期間で築造されました。現在のところ当地区を含む百道浜一帯の防塁築造を担当した国は不明です。

 築造にあたっては、幕府の支配下にあった御家人だけでなく、荘園にも負担が課せられ、所領の規模に応じて築造する長さが割り当てれました。

 石塁の高さは2.5m~3m、築造の工法は各地区によって異なりますが、石材は近くの沿岸部の丘陵や能古島から運んだものと考えられます。元寇防塁は1281年の弘安の役で、元寇の上陸を阻止する役割を果たしました。その後14世紀の半ば頃まで防塁の修理の記録がみられますが、以後、埋没し、現在に至っています。

 「元寇防塁」は昭和6年に今津、今宿、生の松原、姪浜、西新(当地とこれより東へ300mの地点に2箇所)、地行、箱崎の各地区に国指定史跡となり、保存されています。

 

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右側には今津地区、生の松原地区、西新地区の石塁の違いについての図が描いてあります。ここの説明書きは今まで見た中で一番丁寧に書かれている感じがしました。

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これが、元寇防塁です。地中に埋まっていますが、はっきりここにあったことがわかります。

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角度を変えてみました。

奥に見えるのが墓地です。結構古くからある墓地のようで「~先生(よく見えなかった)之墓」と書いてある石碑のようなお墓もありました。

 

このあたりは地価の高い住宅地なんですが、ここだけ松林と草があってタイムスリップできるような特別な空間でした。

 

 

ということで、今回も元寇防塁を見てきました。あと残るのは生の松原、今宿、今津、姪浜、箱崎あたりでしょうか。ランニングついでに全部制覇したいと思います。