Easier said than done

言うは易く行うは難し

福岡に残る元寇関連史跡~西区小戸・脇地区(マリノアシティ裏)の元寇防塁~

スポンサードリンク

どうも、たまに元寇防塁を見に行くのが趣味のぐっさん(@goodsun_30)です。

今回は福岡市西区小戸の脇地区にある元寇防塁史跡をランニングついでに見に行ってきました。

西区小戸脇地区の元寇防塁

脇地区の元寇防塁は九州最大級のアウトレットモール・マリノアシティのすぐそばにあります。

f:id:goodsun30:20171210150701j:plain

「史蹟 元寇防塁」と書かれた石碑

写真の奥にはマリノアシティのニトリやGOLF5の看板が見えます。目と鼻の先ですが、日産の裏側にあることに加え、マリノアシティ側からだと車で入れないので全く目立ちません。

しかし、いったん裏手に入ってみると開けた場所があって、立派な石碑も建っています。広さは150m×20mくらいと広く、芝生なのでちょっとした遊び場(遊んでいいかわかりませんが)として使えそうな感じです。

 

石碑には他の元寇防塁と同じように「史蹟 元寇防塁」と書かれています。右側には「史蹟名勝天然記念物保存法ニ依リ 昭和六年三月文部大臣指定」、左側には「昭和六年十月建設」と記されていました。

昭和6年建設ということは80年以上もこの場所に建っていることになります。マリナ通り周辺の整備をずっと見守ってきたんでしょう。

肥前国が担当した元寇防塁 

f:id:goodsun30:20171210150706j:plain

これが説明書きです。

「(前略)

 この姪浜地区 は、肥前国が分担して、西の十郎川付近から小戸を経て愛宕山に至る区間に築きました。全体を石だけで築いており粘土などの使用はありませんでした。

(後略)」

どうやらここの元寇防塁は肥前国(今の佐賀県~長崎県あたり)が 担当したようです。

石のみで作られていたようなので、西南学院大学内にある元寇防塁に比べると簡素な作りだったのかもしれません。

また、市の文化財情報によると、1979年に行われた調査で幅4mの砂岩が積まれていた状況が確認できたとのこと。

防塁がカーブしていた?

脇地区の元寇防塁は基底部しか残っていないため、しっかりとした防塁はありません。

しかし、敷地内に土が盛り上がりが続いている場所があり、そこが防塁があった場所だと推測できます。

f:id:goodsun30:20171210150718j:plain

石碑の横から盛り上がった部分が続いているんですが、線で示したとおりカーブしています。

f:id:goodsun30:20171210150711j:plain

もう一枚。石碑の横から撮った写真です。

地形の影響からか、この場所の元寇防塁は少し曲がっていたのかもしれません。

f:id:goodsun30:20171210150846j:plain
f:id:goodsun30:20171210150842j:plain
基底部の石?

盛り上がっている部分の地面を見ると基底部の石らしきものが顔をのぞかせていました。この上に2.5~3mの防塁があったとすると、そこそこの高台になったのではないかと思われます。

鎌倉時代の人はこの場所にあった防塁の上から玄界灘を眺めていたのかもしれません。

 

 

というわけで、今回はマリノアシティそばにある元寇防塁の紹介でした。

ここは十郎川と室見川の間に築かれた約2㎞の防塁の一部です。かつて20㎞渡って築かれた元寇防塁の史跡は福岡市内にまだまだ残っているので全部制覇するまで続けたいと思います。